あなたの会社は
イノベーターかグローバライザーか

――― 2026年春の特別論考 ―――

はじめに:ふたりの経営者の場合

ここにふたつの企業があり、それらを経営するふたりの経営者がいる。ふたりとも、創業者であった祖父から父を経て会社を受け継いで10年ほどになる。彼らが二十一世紀の今日の事業環境の下でする格闘は、その他の多数の企業人による格闘と何ら変わるところはないが、その実相に迫るためには表層的な個別の文脈の固有性を超えて「中に分け入り」、企業と経営者の、個の相と個を超える相とを「選り分け」なくてはならない。分析に入る前に、まず実体を全的に受けとめる必要がある。それ無くして、本質となりうる真相に到達することはできないからだ。まずは、以下にふたりの経営者の物語を見ていただこう[1]

[1] 本稿が紹介する物語及び登場人物や企業は実在しません。本稿の趣旨に照らして適切と思われる各種のケースから重要な要素を寄せ集めて統合した創作物です。なお、AI等の外部ソースは使用していません。

ひとりは父から受け継いだ機械部品の会社「ユージーン社」を米州・欧州・東アジア・東南アジア・南アジアに展開させる山上真一である。

今日のグローバルな事業展開の基礎を作ったのは彼の父政夫である。身一本で終戦後の混乱の中でゼロから事業を作り上げ、日本経済の成長の波に乗って事業拡大させた祖父房雄からバトンを受け継いだ父の政夫は、80年代後半以降の世界の政治・経済・金融の変動と、バブル崩壊後に動揺した国内経済の混沌の中に安穏と潜むことは危険と考え、それまで傍流だった海外市場への事業展開を本格化させた。政夫がユージーン社の経営を房雄から引き継いだ時代は、冷戦終結以降の自由化の波が旧共産圏の経済を飲み込むとともに、それまで長期間にわたって経済的豊かさの女神から見放され続けてきた国々が経済的〈離陸〉を始めた時期に重なる。日本経済の長期停滞に処方箋がなく、国内製造業が押し並べて国外進出を進め、海外生産拠点を確立していった時代に、政夫もまたそうした時代の流れに意図せざる形で追随した。

一人息子の真一は大手商社での数年の経験を経て、父の経営するユージーン社に就職した。インターネットの普及がこれから始まろうとする時期の、アメリカで隆盛を極めたドットコムバブルが弾けた頃に当たる。若かりし真一は、来るインターネットの新技術がこれまでの経済界のルールを変えていくだろうことは容易に感じたが、それがどのような形で実現するかについては、当時未だ見通しを持っていなかった。それでも、「商社冬の時代」という定期的に繰り返された商社存亡論が経済誌に語られるのを尻目に、金融業界における老舗企業の倒産などの激震とそれによる実業界への貸し剥がしの連鎖の巻き起こる中で、製造業が創出する本質的な価値を真一は冷静に見通していた。一般にインターネットの登場が物やサービスの流通の促進を照らし出すのと対照的に、質の高い製品を作る製造業はそうでない製造業とその質的相違を白日の下に晒すことになると考えた。いや、正確に言えば、そうした三十代に差し掛かった男の一種の自信過剰と、それと裏腹にある、自身の知らぬことはすべて等しく靄がかかって見えない盲目とが、真一をして自分の直感に賭けさせたのである。

当時の社長政夫にとって、入社して日も浅い真一を中国の工場に配属したのは狙いがなかったわけではない。折りしも世界の原油価格が史上空前の上昇を始め、その元凶が中国からの原油需要の増大にあることは俄かに言われ出していた。中国は依然として貧しい国であることに変わりはなかったが、数年前の世界貿易機関(WTO)への加盟が象徴的に示す通り、中国経済は名実ともに開放経済型への転換とそれによる生産体制の増強を進めていて、日欧米の製造企業が中国国内への進出を始めていた。この世界経済の次元での地殻変動を肌に触れて感じていた政夫は、今後の自社経営の避けられない中心に中国経済が入ってくることを予感していた。だから、息子の真一を、中国での生産および流通網の確立、そして、先には販売先市場としての深耕・開拓を主導する重大な任務を与えようと考えていた。真一は中国の工場で五年を過ごし、中国経済の日ごとに著しく変わりゆく様を見つめながら、自社の雇用する人材への日本の高い技術の浸透を実現させ、歩留まりが低いと一般に言われる中国経済にあって、安定した高稼働を実現して自社の高い収益性の実現に貢献した。

真一は中国事業の骨格づくりを当時の副社長で父政夫の信頼篤い相馬生産本部長と進めたあと、欧州の市場ペネトレーション戦略を磨き上げることに尽力して、大阪市の本社に戻った。数年の本社機能部門を横断的に経験した後、七十代に差し掛かった政夫から取締役会に入るように真一は言われた。十八年に及んで生産部門から販売部門、さらに本社機能を経験してきた真一は、幼少期から無意識のうちに祖父や父から施されてきた企業経営の帝王学を基礎に、密度の濃い時間を過ごしてきていた。そのリーダーとしての力量を遺憾なく発揮する舞台に上がると同時に、真一は自らの無垢な経営の才覚が多数の仲間である従業員に影響する責任を背負うことになった。

並のビジネスマンは無から自己の存在理由を見出す。広大な実業界の中で自分が為せる仕事が何でありうるか、何でなければならぬかということを、白画用紙に描く如く発見せねばならない。それは非常な忍耐を要し、尽きせぬ失敗と、故に徒労とを前進する糧にしないことには何事も始まらない。中には中途で挫折する者があり、中には当初の思惑と大きく外れた僻地に思わぬ僥倖を見出す者がある。しかし、真一の場合、初めからそうした大きな迷妄はなかったと言っていい。惑いがなかったとは言わない。彼とてひとりの生身の人間であり、時代が彼をどこに連れて行くかを知る由もない。彼と彼の会社とを導く道を、半ばは力の及ばぬ外力に引かれながら、もう半ばは自らの嗅覚と先人の知恵とを頼りに見定めて行くしかなかったことは事実である。

現在の真一は、父政夫から代表取締役社長を引き継いでの十年弱に起きた激動を切り抜けた自負を胸に抱きながらも、父が牽引したこれまでの三十年弱とは根本的に変わりゆく事業環境の中でいかにユージーン社を経営していくかに頭を悩ませている。ユージーン社がアジア各地や欧州、米州に展開を広げていく道は依然として尽きない。三十年前と比べれば遥かにグローバルな会社となり、各地域で雇用する従業員は多い。それだけ責任を背負いながらも、これまで以上に現地の見込み顧客に自社の製品を届けたいという思いをユージーン社員一同が共にする。中国系の追随事業者が伸長していること、欧州の伝統的老舗企業が欧州を中心に米州でも存在感を示していることは、地域担当役員からよく耳に入っている。グローバル化はこの三十年間で一層進化して、今やそれが当たり前の構造となり、あらゆる落とし穴を回避させるための貿易及び金融上の支援サービスがかつて以上に手厚いが、一方でそうしたお膳立てされた環境の下で今後も引き続きグローバルな展開を〈連続的な延伸〉として思考してしまうことに、真一は形容し難い違和感を感じていた。「そのままで良いはずがない、しかし何が問題であるかは見えない」これから経済成長が期待できるインド市場など、青田刈りの考えで攻め所に強弱をつけることはあるにせよ、果たしてそうした機械的な事業戦略の適用が長期的に考えて最善なのかということに、真一は自信が持てないでいた。さりとて、そうではない別の方向性が降って湧くように現れるわけではない。されば、インドならインドで、市場の見込み顧客に入り込んで、彼らのニーズとウォンツの実態をつぶさに掴むために相手の懐に入り込む愚直な仕事を社全体でするしかないだろう。今まで父の代からやってきたことをこれからも新しい市場で続けていくしかない。そう頭では分かっていた……。

もうひとりは、同じく自分の父から受け継いだ食品卸売業の会社「エス食品商会」を日本国内に展開する佐藤高明である。

現在六十代を目前に控える高明の会社の祖業は曽祖父が地元の九州でやっていた造り酒屋だった。農村地帯の集落に供する分の酒の製造は、農村においても人口が増える明治期にあって地元でそれなりに隆盛を誇ったが、同時に都市部へ流出する者もまた多く、若くして身体を壊した曽祖父は近くに住む兄弟に酒蔵を委ね、息子である高明の祖父竜造はそのまま親戚に造り酒屋を任せて若くして東京へ出た。竜造は生家に似た醤油醸造所や酒蔵に出入りしたが、そのうち築地の河岸に落ち着いた。戦争後の食糧不足が解消していく時代に、魚介類の加工品を商品に小売業を始めるが、次第に同業参入が増えて飽和してきた市場を嫌い、築地の河岸とのつながりを梃子に卸売業にシフトした。

日本が高度経済成長を謳歌した時代に竜造の会社も成長したが、本格的な転機はその息子である高明の父竹春が会社に定着した1970年代に起きた。それまでも日本人の経済的豊かさの伸長は飽食を現前させていたが、70年代以降の日本社会では食がエンターテイメント化しはじめたと言ってよく、外食業が勃興し、外食文化が浸透し、惣菜を購入して帰宅する生活様式も緩やかに起こり始めた。こうした変化に目をつけた竜造と竹春親子は、食材食品の卸売業に加えて、自ら外食業に参入し、惣菜製造業に参入した。戦争を経験した明治人竜造の胆力は一つや二つの事業の失敗に気を病むことなく、当たれば幸い、当たらぬも勉強という体で新規事業の展開に邁進した。

70年代以降の食の開放化は海外の食品の輸入にも現れた。竜造は竹春を米国や欧州に派遣して、洋食化が進む日本人の舌に合う珍しい食品食材を調達させた。中でもイタリア産のチーズ、フランス産のワイン、アメリカ産の牛肉は、竹春が自らの商売人人生をかけて調達先を発掘し、また国内需要を育成した特筆すべき事業だった。戦前に生まれ、軍国少年として終戦を迎えて食糧難の時代を過ごした竹春にとって、食の豊かさを実現することは自らの過酷な若年時代を克服する意味を持っていた。そして、同時にその思いを共有する幾千万の同時代人の幸福をも意味することを知る彼にとって、食の選択肢を顧客に提供することは何にも変え難い喜びであった。

食に関する文化と生活様式が著しい速さで変わりゆくことについて、顧客が戸惑わなかったわけではない。急すぎる変化について行けない年配の世代と、新しい生活様式を進化と捉える若い世代とが共存しながら、微妙に異なる価値観を分けて持っていた。竜造は、食における大きな流れが和から多様へ、内から内と外へと変わっていく様を見ながら、子の竹春と世代を分けた分担をしながら、会社の主導権を次第に竹春に移譲していった。

70年代以降の食料卸業界の変遷を肌身で感じてきた竹春にとって、飽和していく国内市場の未来を決めていく一つの指標が人口動態に他ならないことを早い段階で気づいていた。合計特殊出生率の低下が言われ出した90年代には、いずれ国内の人口が減り始め、食料を必要とする口が減るために食料需要が減ることを意識するようになった。竹春の洞察の鋭いところは、そうであるなら、国内で食料需要の奪い合いが起きるより前に、自社が事業立地する食品種のポートフォリオを組み替えておかなければいけないということ、そしてそれまで輸入一辺倒であった自社の姿勢を転換して、国内の食品食材を海外に輸出していく道を準備しなければいけないことに気づいたところにあった。高明は、そうした竹春の早すぎる先手の試行錯誤の後に会社に入社し、竹春の取り組みを全身で支援した。

高明は、そもそも父の会社に入社することを避けていたところがあった。美術の学校で学び、ヨーロッパに留学してその道での成功を模索した。しかし不思議な縁が働くもので、ヨーロッパへの出張もこなした父竹春からの薫陶の影響によってヨーロッパの芸術に関心を持ったのと同じように、その留学時代に、ヨーロッパの食文化の豊穣を知り、またそれと背中合わせのように日本の食文化の豊穣をも知り、美術での挫折を機会に、思い切って生家の本業である食の世界に戻ることを決めた。

父竹春と子高明は、飽食化が進んだ日本においてこれからの時代に重要なのは食そのものではなく、食を取り囲む〈文脈〉であると考えた。それは実はそれまでの時代においても重要であるに違いなかったが、戦後六十年間の豊かさへの格闘の中では劣後されて来たこともまた事実であった。何より、家族のかたちがこの六十年間に大きく変わっていた。食の方法が豊富になるにつれて、かつて家族全員でちゃぶ台を囲んで膳を揃えた家族での食は、いつでもひとり一人が〈自由に〉外出して外食することができ、 誰が自宅の食卓に残るか分からず殺伐としがちであった。もちろん食だけに依るのではない、ことによったら、住居の構造の変化の方がより重大な原因であったかもしれない。しかし、竹春と高明にとっては、理由が何であれ、家族をつなぐ触媒としての食において、いかに自分たちが他の日本人に貢献できるかということにこだわった。そこに自分たちの存在理由を追い求めたいと考えた。

高明は、父から会社を託されて以降、次第に細っていく日本の食の生産者、特に農業と食品加工の零細事業者の存亡を気に掛けるようになった。自分の祖父と父は外国産の食材を輸入する道を開いたわけだが、その道は逆に国内の生産者を減少させた。消費者にとっての食の選択肢は増えたが、日本の伝統食材と食品が逸失してしまっては元も子もない。工業化が進展して、大規模工場に依存した供給体制の裏で、零細生産者たちが押し出されている。高明は、そうした背景をもとに、日本の津々浦々に残る佃煮や味噌、醤油などの発酵食品をあらためて発掘し、国内はもちろん海外の市場にも売り先を求めて駆け巡っている。そして、化学肥料に依存した現在の農業や、温暖化の影響で漁獲地・漁獲量に変化が現れ、已む無く養殖化が進む水産業に対して、今とは違うあり方を模索しようと、生産者、製造業者、小売業者、外食業者などと知恵を交換しあっている。

目線:ふたりの経営者の目線の先に何があるか

ここでふたりの物語は一旦措く。彼らが直面している現実に文脈を与えられれば、ここでの目的に鑑みて一旦十分である。目的は何であったか、ここで一度定義したい。核心的な目的は、経営者が企業組織を動かして何事かを成そうとし、実際にやり方次第でそうできるときに、彼はどこを見てどういう流れでその具体的な実践を設計するのかを解きほぐすことである。これは、一般に経営者というものが組織を動かす目的を言ったに過ぎず、改めて本稿冒頭で掲げるほどのものではない。この起点としての目的を雛形として、具体的に彼ら(山上真一氏と佐藤高明氏)は固有の経営方針を作り、作ったものを磨き直すわけだが、本稿の主眼は彼ら固有の文脈と物語から遊離して、つまりその意味で抽象化して、より一般的な意味での経営の本質の一端を再現することにある。

「戦略」は、自社以外のプレイヤーを含む環境が〈比較的固定的なとき〉に有効な〈実践〉の方法論である。先に挙げたふたりの経営者は、ともに前社長から「戦略」と「環境」とを引き受けた。「戦略」は自身の思惑一つで変えていくことが可能な可変変数である一方、「環境」はほぼ自らの思い通りにならない外在的固定変数である。そして、「環境」がドリフトしながらそれまでの状態から変化していくとき、「戦略」は時間を経るごとに〈賞味期限切れ〉となっていく宿命を負っている。

彼らが「戦略」の次元で企業経営を舵取りしようとしたなら、激変環境下においては〈賞味期限切れ〉を露呈させる可能性がある。上手く海路を選り分けて進むことができれば万事順当だろうが、そうできるほどに環境変化を正しく読むことは容易ではない。その小さな針の穴に細い糸を通すが如き「環境予測」と「戦略調整」は、それ自体が自社による制御範囲を絞り込んだリスクの高い「(上位)戦略」である。また、「環境」の変貌しゆく先を見極めることに終始し、それに振り回されたなら、「戦略」は名実ともに失われ、〈賞味期限〉が来る前に破滅の道を往くと言ってよい。

本稿が以下に議論することは、こうした偏狭な戦略論とも時勢論とも異なり、企業がどういう存在としてあろうとするかという存在論であると定義できる。そこでは、「何をやるか」の前に「どういう存在としてやるか」が来ることを確認する。そして、「どういう存在として」の前に不可避的に「誰のために」があることをも確認する。私たちAVISTALが見るところ、今日の言説の中で「誰のために」という問いは決定的に不足している観点である。しかし、この点に対する姿勢を持たずして、企業は存在を定義できず、また、有効な戦略への一貫性を堅持することもまたできない。

上山真一氏と佐藤高明氏が有効な前途を発見するために必要な問いを、以下の議論を通じて浮き彫りにしていく。

視座:イノベーターとは何者か、グローバライザーとは何者か

ここから、イノベーション(革新)とグローバリゼーション(国際化)という二つの〈切り口〉を取り上げる。事業者が為す広義の生産活動において何ごとかの価値を生むということ(Value Creation)はイノベーションかグローバリゼーションのいずれかの方向で出現する。事業者の活動が何らかの問題の解決にあることは言うを俟たない。その解決の方法がいかにして可能かという方法の点でこのふたつの〈切り口〉が作用する。このふたつの切り口は、巷でそれ以上に耳目を集めるものがないほどに有名であり、ここでその新規性をことさらあげつらうわけではない。しかし、不思議にも、このふたつの〈切り口〉だけが、構造的に世界を描写することについては全く一般に知られていない。

イノベーション(革新)とグローバリゼーション(国際化)は、事業者の活動による価値創出を特徴づける二大要素である。しかるに、二軸平面上で表現すると分かりやすい。

イノベーションは、顧客ひとりに対する問題解決の深さを問う。それが純粋に工業的技術によるものか、情報技術なのか、あるいは商品設計による解決の様式なのか、解決策の届け方なのかということは問われない。さまざまな次元で、顧客ひとりの問題解決に資すること全てがイノベーションの中に含められる。それは、この語の著名な提唱者であるヨーゼフ・シュンペーターが定義したそのままの意味おいて正当な概念である。ひとりの顧客が持つ目の前の問題がひとたび解決されれば、しばらくして更なる問題が出てくることだろう。解決者は改めて問題解決を図り、そうして次々にひとりの顧客が持つ問題が解決されていき、解決策の束は豊富になる形で「イノベーションは進化」していく。このことを表現するために、ここでは便宜的にUnit Valueというイノベーションの〈単位〉を持っておくことにしよう。顧客ひとりあたり、どれだけ問題解決の深度を下げられたかを問う。

一方のグローバリゼーションは、一般に理解されている、国境を超えて経済活動としての交換や贈与を行うこと、人流が行き交うことという「国境」を強調する狭義を超え、一国経済の内部においても、一つの問題に対する解決が伝播し浸透していく、その「拡がり」に着目する。東京の下町で生み出された新しい和菓子が東京全体に、関東全域に、北は北海道から東北北陸を経て、東海近畿と四国中国を経て九州沖縄に至るまで浸透していく、その「拡がり」をこそここではグローバリゼーションと呼ぶ。ビジネスの慣習から援用すれば、それは市場がなかった場所に市場を創る「市場化」と言ってもよい。「拡がり」を考えれば、ひとりの無垢の潜在顧客に新しい解決策が提示され、彼のさらに先にいた別の潜在顧客にも同様に解決策を提示するというふうに、その空間的な到達は順次広がり「グローバリゼーションは進化」していく。このことを表現するために、こちらも便宜的にMarket Sizeというグローバリゼーションの〈単位〉を持っておくことにしよう。ひとつの解決策が、どれだけ広範な市場にリーチするかを問う。

以上の簡単な説明に従えば、これらのふたつの〈切り口〉が相互に排他的に、かつ網羅的に事業者による価値創造のパターンを形成することがわかるだろう。重要なことは、イノベーションが「目の前にいる、解決さるべき問題を持つひとりの顧客」に向いていること、また、グローバリゼーションが「解決策を知らない隣の潜在的な顧客」に向いていることである。

事業者は、意識するとしないとに関わらず、このいずれかの方向を向いて事業を遂行している。意識しないが故に、無意識のうちに「新しい潜在顧客」に対して「新しい解決策」を開発することもあるだろう。これらの二つの〈切り口〉に沿った活動が明示的に分割されて実行されることは稀ではないだろうか。にも関わらず、そうした二種の活動は根源的に異なる活動である。そして、どちらも顧客価値を創出する。

ユージーン社山上氏の現在:Innovation-Globalization Matrixによる整理

先の物語において登場した山上氏のユージーン社は、イノベーターでもグローバライザーでもなく、他社が開発した技術的先端をLocal市場に浸透させるソリューション適用者(Solution-Seeker)であると言える。

彼らの現在の姿をイノベーションとグローバリゼーションの二軸からなるマトリックス上で表現すると3つの特徴が浮かび上がる。

第一に、業界全体において実現している生産可能性集合に未活用の余地が残る。これは、最先端から論理的に距離を隔てた地点で解決策を顧客へ提案していることを指す。供給者は自ら提案する解決策を市場リーダーの最先端の解決策に肉薄させる余地が残る。

第二に、イノベーションの最前線から距離がある。当該企業そのものはイノベーション上の最先端を切り拓いているのではない。むしろ他社がリーダーとして開発した解決策を模倣し、供給を受け、追随している。

第三に、複数市場を視野に入れる効果は限定的である。ユージーン社は欧州・米州・日本・アジアに事業展開するが、そのどれも生産可能性集合のいずれかの最先端に位置しない。どの事業も集合内部に留まり、イノベーション上の、あるいはグローバリゼーション上のリーダーに追随している。彼らの場合、欧州事業は日本事業と同等かやや上位の洗練度に留まる。米州事業は日本/欧州事業より洗練するが、最先端からは距離がある。事業ポートフォリオとしてみると、どの事業も生産可能性集合の内側に位置し、地域的分散はあるが、事業の存在としての意義においてさほど分散していない。

換言すれば、「誰に」「どう」貢献するかにおいて、各事業に明確な役割・意義が与えられていない。それなら、日本事業に集中してあくまで〈問題種〉を深耕する方が効果的かもしれない。現在は、規模を大きくするために規模を大きくしている面がなくもない。「喰われる前に喰う」ことで生き延びようとする考えが滲む。

こうした当該企業の現状を踏まえてその存在的意義を記述すれば、「大衆的顧客向け」に最先端モデルを真似て『汎化した製品』を薄く広く浸透させる役割を担う」と言える。これを、「先端技術の『伝道師』」と好意的に言うこともできる。このことはあながち否定的に捉えるべきではない。こうした事業モデルであっても、顧客企業の競争優位性を作り得る。例え自社が市場に存在する優良製品の開発者でないとしても、優良製品に伍する製品を模倣したり調達したりして安く提供する「商社」的な動き方によって価値創出につながることはある。また、必ずしも顧客に競争優位性を作らなくても、「事業慣習の標準だから」顧客が製品を導入することもある。いずれにせよ、こうした存在として成立している限りにおいて、当社はそれなりに顧客に貢献しているとは言える。

実は、「文化」は最先端においてでなく、生産可能性集合の内部においてこそ宿り、育まれる。日本の伝統的産業、工芸品、食品加工などは、極めて原点に近い領域で営まれる。「豊かさ」とは「文化の厚み」であるとすれば、先端から遠いところを軽蔑することはあたらない。文化を作ることを事業者の存在意義とする企業がいても、何もおかしくはないし、そうした企業は文化的豊かさを実際に支えるのである。 問題は、それが社長山上真一氏にとって好ましいことか否かである。

実相:企業存在の深淵を問う問い

これまでの議論を通じて、イノベーションとグローバリゼーションをふたつの〈切り口〉として企業活動を眺める方法が明確になった。ここからが本論になる。つまり、企業の存在という問題をどのように捉え、自らに問うかという本論が始まる。

最初に答えを述べるとすれば、イノベーターであるかグローバライザーであるかは選択の問題ではない。本稿を通じて問いかけようとしていることは、山上真一氏が「イノベーターであるかグローバライザーであるか」を個人的に決断することではない。むしろ、それは可能なのかという問いが潜むといえばそれは妥当であるが、それすらも先読みして応えれば前掲の選択の問いに回収される。

実態は、「イノベーターであるかグローバライザーであるか」はDNAやアイデンティティを問う問いである。ゼロから起業するのでなければ、企業は連続性を持っているのであるから、「イノベーターであるかグローバライザーであるか」は連続的な蓄積に関与した人びとの、それは企業組織の内部にいた人から、顧客として製品サービスを購入した人から、調達先の関係会社に関わる人から、多様な人びとの実体的な関わりが作り上げてきた〈生命体〉としてのDNAなり、またそうしたDNAを発露させてきた歴史を背負って社会の中に自らを位置付けるアイデンティティなりを問うのである。重要なことは、その刻印がどこに刻まれているかという一点にある。すなわち、DNAやアイデンティティの刻印は〈表層〉には無いかもしれないということ、表面的な企業情報には無関係かもしれないということである。ここで過度に議論を進める前に一言留意するとすれば、企業組織が人間から成り、人間が関与し、人間の関与を受けて変化する〈生命体〉であると捉えたとき、その要素としての人間が誰なのか、どういう種類の人間なのかという目線が決定的に重要になる。端的に、誰が企業に関わり、誰に尽くし、誰に助けられるのか。そうした人間関係の束が企業のDNAとアイデンティティを形成すると考えることができる。そうした全方位的な企業の存在の問いを発展させるには本稿は限りがあるが、今回〈切り口〉として取り上げた「イノベーター及びグローバライザー」という観点を深掘りする意味で、以降は「誰に応えるか」という観点によって企業のDNAとアイデンティティの問題を考える。

自社が「イノベーターであるかグローバライザーであるか」は選択の問題でなく、DNAやアイデンティティの問題であるとして、そこに「誰に応えるか」はどう関係するか。

例えば、「日本に住む人を助ける」ことから始めた企業は本質的に「日本という土地、民族、市場」に縛られている。当初事業を始めた時の問題が解決されれば、別の問題に移行することはあり得るが、そこでも「日本に住む人を助ける」がアイデンティティを支える。意識するかしないかは別にして、こうした事業者は、その出自から「応える相手」である「日本に住む人」が事業を支える規定であり根底であり、意図して抜け出さない限りそこから自由にはならない。他方で、当初から「特定の誰でもない、誰もを助ける」ことで始めた企業や、どこかの時点でそうした目的への移行に成功した企業は、「特定の土地、民族、市場」に縛られない。しかし、そうは言っても、「助ける」瞬間においては目の前に対象となる人がいて、該当する土地があり市場があることに変わりはない。

企業の発生から展開への様相

あらゆる企業はその起源において明確に「誰かに応える」ことから始まる。事業の一部分がいきなりフロンティア(生産可能性集合の最先端)から始まる例もあるが、大体において最先端にある製品やサービスを模倣したり調達したりする形で始まる。その意味で、あらゆる企業は起源においてソリューション適用者(Solution-Seeker)であると言える。彼らは、誰かの問題の解決を既存のソリューションを探してくることで始める。このとき、関心は主に対象となる〈人〉にあり、〈問題種〉にも〈ソリューション〉にもない。彼らのマントラは「とにかくこの人を助ける」にある。どんなに先端的な情報技術をもってこの四半世紀に創業したテック企業も、創業の当時においては目の前で顧客となってくれる人たちに向かって製品・サービスを改善させることによってその後のスケール化(規模拡大)を実現している。彼らも、ソリューションありきではない。どんなにソリューションにおける〈洞察〉が後年取り沙汰されても、走り出しにおいては「応える誰か」への集中無しにはその後のスケールは起きていなかったであろう。

ソリューション適用者(Solution-Seeker)として成立した事業者は、そのままソリューション適用者として生存していくか、あるいは〈問題種〉と〈ソリューション〉への尖りを研磨して独自性を鋭くする道へと分かれる。その分岐が創業間も無く現れる企業もあれば、何十年と経過してから先鋭化に舵を切る企業もある。実際の展開の仕方にはバリエーションがあるにしても、ここで存在上の大きな曲折があることに違いはない。

〈問題種〉に関して尖りをつくりにいく企業群は「イノベーター」となっていく。誰かの何かの問題の解決に既存のソリューションが見つからないために、自ら解決を図る。主関心は〈問題種〉にあり、対象となる〈人〉からは遊離していき、〈ソリューション〉への執着もない。彼らのマントラは「とにかくこの問題を解決する」にある。当初ソリューション適用者(Solution-Seeker)として事業を始めた企業が早々にイノベーターに転じて技術的な先進性によって顧客への問題解決に当たる例は情報産業に多いことは改めて言及するまでもない。

それとは異なり、〈ソリューション〉に関して尖りをつくりにいく企業群もいて、彼らは「グローバライザー」となっていく。彼らは目の前の顧客とその問題種に向く代わりに、既存のソリューションを未だ適用されていない「誰か」を探しにいく。ここでの関心は主に問題への〈解決策の適用〉にあり、〈人〉にも〈問題種〉にもない。彼らのマントラは「とにかく解決する」にある。特定の問題の解決が当たり前になっているところがあるのに、遠くの別のところでは解決策を求めて待っている人がいる。解決策を持たない人に、当たり前となった解決策を授けることによって、広範な問題解決が起こると考えるのである。彼らは特に〈解決〉を重視する。

以上、企業を大きく三種類の類型に分けて考えたが、ここで注意すべきことが三つある。

第一に、〈人〉に張り付いて問題解決に取り組んでいれば、いずれ「課題の最先端」に到達し、イノベーターへの脱皮を余儀なくされるということである。それには〈人〉が直面する「課題」の真相へ迫ろうとする努力は欠かせないが、眼前の顧客が「活き活きした課題」を露呈させるほどに、事業者は常にイノベーターとして踏み出す契機に直面せざるを得ない。その機会に「私たちはそこまでやることはできません」と固辞するか、「この人を助ける」一心で飛び込んでみるかで、企業としての存在様式は大きく分かれていくことになる。

第二に、グローバライザーが問題解決に集中するとき、問題解決が自己目的化する可能性がいつもある。「とにかく解決する」という〈ソリューション〉への集中が〈人〉や〈問題種〉への注意を劣後させるとき、「解決を要すか否かは問題ではなく、解決されていなければとにかく解決させる」という供給者論理に陥るかもしれないことに留意する必要がある。

先のユージーン社の山上真一氏が最後にインド市場攻略を目論むとき、〈人〉が見える前に〈解決〉が先行し始めている兆候がある。その〈人〉が本当に必要で欲しいものが〈解決〉でない可能性に留意できるか否かが分かれ目である。

第三に、グローバライザーには二種類いて、当初から問題解決に専念するケースと、ソリューション適用者やイノベーターから転じるケースとがある。問題を見つけることも解決策を見つけることも困難な事業だが、見つけられた問題を見つけられた解決策とともに新しい人びとに適用することは比較的容易な事業である。後者のケースにおいて、転向が成功するには転向者はいくつかの条件を満たす必要がある。

以上に描写した事業者の成立と展開を総括すると、事業は立ち上がりにおいてまず目の前の〈人〉に関わるが故にソリューション適用者として始められ、次第に有効なソリューションが存在しない事態に直面して已む無くイノベーターとなり、いずれ洗練が進んでグローバライザーに転化するケースと、当初からグローバライザーとして機会主義に徹するケースとがあることになる。もし社会全体が〈人〉と〈問題種〉への視線を失えば、機会主義を肩に着て市場を奪い合う事業者が跋扈する「喰うか喰われるか」の世界に至ることになる。 次に、グローバライザーへの転向について見てみよう。

グローバライザーへの転向:自然な延長か、Identity Crisisか

日本が産んだ偉大な企業経営者は多いが、ここではホンダの創業者本田宗一郎氏のケースを考えてみよう。創業期のホンダは、宗一郎氏が妻のために電動機付き自転車を考案し製作したことから始まる。氏は終戦後の浜松市で、それまでやっていた自動車修理やピストンリング生産の事業をやめて一時期何も仕事をせず自由にしていた時期があった。当時、戦後の物資不足の中、宗一郎氏の妻は自転車で遠くまで行って買い物をして、重い荷物を乗せて帰るという大変な思いをしていた。そんな妻の姿を見ていた宗一郎氏は、旧陸軍が無線機の発電用の小型エンジンが終戦後放置されていたことに気づき、自転車の補助動力として使うことを思い付く。試作を作り、妻に試作車のテスト走行をさせるなどして改良を重ね、ついに完成させたエンジンは口コミで評判となり、浜松はおろか東京や大阪などからも注文が入ったといい、ここから今日のホンダに繋がる歴史が始まる。そのうち旧陸軍の無線機用エンジンが底をついたため、宗一郎氏はエンジンの設計に取り組み、従来の自転車に取り付けることができる「A型エンジン」を完成させた。そこから「カブ号F型」が生まれ、ホンダのエンジンとオートバイの事業が本格化することになる。

本稿が本田宗一郎氏の創業時のエピソードを取り上げるのは、創業期のホンダが「妻のため」から「日本人のため」への自然な延長を経て、成長を開花させたことに留意したいからである。宗一郎氏にとって、妻の買い出しの苦労を助けるということと、同じように買い出しに苦労し、あるいはそのほかの移動と輸送に苦労する戦後の同輩の日本人を助けるということとが地続きになっていたことを強調したいのである。宗一郎氏にとっては、〈妻〉の問題を解決することは〈ほかの日本人〉の問題を解決することに繋がると疑いなく信じることができていたに違いない。この理屈でなく信念のレベルで「妻のため」と「みんな(日本人)のため」とが地続きになっていることが重要であり、それがなければこの〈ソリューション〉が他の人にも役立つという「洞察」は日の目を見なかったはずなのである。何を当たり前のことをとお感じになる向きもあろうが、事の真相は実はそれほど単純ではないことに思いを馳せていただきたい。

例えば、「日本人のため」と「アジア人のため」のように、人間という共通項以上の地続きを持たない薄い地平では「自然な延長」が機能しにくい。生活様式が異なり、思考様式が異なり、文化様式が異なる人を見て、人は自分自身と同質な様式を持つ人と思いづらく、むしろ差異が多く目につく。「私が問題と感じることを、この人も問題と感じないかもしれない」という差異が強調されれば、あらゆることが私と彼方の人とで同じように捉えられない事態に容易に陥る。たしかに、一般的に言われる意味でのグローバリゼーションが進み、文化的な平準化が国内でも海外でも深く広く浸透し、似た価値観で、似た生活様式で、似た思考様式によって、元々異なる文化圏の人間同士が暮らす時代になっていることは厳然たる事実に違いないが、この根源的差異には留意するべき理由がある。

「自然な延長」がないところでグローバライザーへの転向を企図すると、力技によるアイデンティティの捻じ曲げを必要とする。「妻のため」という目的意識が自然に「その他の誰かのため」に延長できなければ、「誰かの何かの問題解決」という論理はそれ自体で問題解決という行動を支持できない。にもかかわらず問題解決を強行しようとするなら、「問題解決のための問題解決」という論理にすり替えねばならなくなる。そこで見ているのはもはや〈人〉ではなく、よもや〈問題〉でもなく、おおかた経済的利得の計算であるのが必定だろう。

ここで論理の転換を、したがってアイデンティティの転換を拒否してグローバライザーへの転向を思い切れないと、アイデンティティ・クライシスに陥る。「誰のための問題解決」であるかを気にせず機会簒奪に反応するだけと割り切れれば悩まないが、「よく知らない人のための問題解決」の居心地の悪さが気になれば、グローバライザーへの転向は起こらない。そして、「変わらないといけないと信じながら、変わることができない」自己および自社を発見する。

こうした「誰に応えるか」の観点に立った企業アイデンティティの問題は、一般に信じられているより遥かに根深い問題だと見た方が安全である。歴史的に見て、日本人は国外の民族と経済的なつながりを草の根で作り育んできた歴史を持たない。平安の国風文化成立の中世以降においては、表立った経済的・政治的・文化的交流は限定され、それがあっても国家が主導し、市井のつながりは例外的にあるに過ぎない。歴史的な和僑のネットワークは今日の日本人のグローバルな視座を準備できるほど強くなく、また一般的でもない。戦後の経済成長によってグローバルに日本の経済力の強大さを自慢できた時期があったにせよ、それが日本人ひとりひとりのグローバルなアイデンティティを確立するほどには世界の文化は統合していないというのが公正な見立てと思われる。たかだか50年から80年の経済的接続の経験は、その水面下での文化的接続の依然としての低位さと相俟って、私たちが私たち自身についての洞察を他国の人びとについての洞察へ「自然な延長」するに足らない。

ここで確認しておくべきなのは、これからの日本発の企業が海外で事業展開する上で、そうした基底を確実に認識することから始めるのが大事ということだ。分かった気になって海外市場に踏み込むと分からないことだらけであることに直面する。初めから分からないことを前提に戦略を、そして企業としての存在定義を考えることが肝要である。

今日の日本企業の位置

多くの日本企業は、創業時から陰に陽に「日本という土地、民族、市場に資する」という理念を背景として事業にかかわり、企業成長を実現してきた。明示的に意識しないにしても、顧客も潜在顧客も日本に住まう人びとを前提にして発展してきたのが主に戦後80年の日本企業の根本的な歴史であろう。早くは1950年代から、遅くとも特に90年代以降日本市場の成長見通しが陰ってから、企業成長の源泉を求めて外国市場に目を移し始めたのであるが、日本の企業人は外国市場を「自然の延長」と見なし得ず、儲けのためと割り切り難い場合がないだろうか。文化的な国際化においては「翻訳」を介してきた歴史があり、外国市場は「海の向こうの未知の土地」と認識する実態は、今日〈グローバル企業〉の仮面をかぶる多くの企業においても妥当する。国内の他社の人との話の方が、国外の社内の人との話より通じやすく、認識ギャップが少ない。これは、私たちがコンサルティング業において支援してきた数多の〈グローバル企業〉に妥当する。

同時に、日本企業は、欧米の一部の企業がそうであるほどに「問題解決(価値創出/機会獲得/儲けの実現)のための問題解決」へ思い切ることができないでいる。筆者はそこに日本の企業人の倫理的良心を見るが、企業にとっての問題は、そこでどっち付かずの中庸に埋没して競争力を失うこと、あるいは少なくとも、実態はそうでないにせよそのように感じられる点にある。 先にも論じた通り、あらゆる企業は創業時にソリューション適用者として「誰かに応える」ために生まれ、それが企業としての〈理念〉と〈意思〉に反映する。そうして自然に育まれた〈理念〉と〈意思〉に反して企業が成長を求めはじめるとき、企業の経営者と組織の人びとは「自社が何の目的のために存在するか」というアイデンティティの問題とともに、外国市場へ進出しきれない不十分さという問題に直面する。

最後に:企業人としてのあなたへの問い

あなたの会社はイノベーターであろうか、それともグローバライザーであろうか。はたまたソリューション適用者であろうか。問いを換えるなら、あなたの会社は「自らが助ける人たち」に向いているか、「解決するこの問題」に向いているか、「解決策の適用」に向いているか。

目下、あなたは抱えた既存顧客に満足いただくために奔走し、新規顧客を集めることに勤しんでいることと推察する。

本稿で提示したイノベーターとグローバライザーの枠組みに照らして振り返ると、あなたと貴社は現在どこにいて、どちらに向いて〈存在〉しようとしているだろうか。

それが存在の問いであって、選択の問いでないとしたときに、「それでも私たちはこうありたい」という内なる叫びは起こるだろうか。それは現実の存在と異なる何を見て、どちらに向き、何を為したいと思うだろうか。もしその叫びがあり得るなら、それはイノベーターやグローバライザーという表層的な存在形態を指すよりも、その背後にある対象者との関係や、自己の活動そのものを指していないだろうか。もしそうであるなら、他社を通してしか自己を認識し得ない人間にとっての、正当に自己のあるべき存在を射抜く目線なのではないだろうか。

(2026.4.16)

生い茂る草木を踏み分け、自らの可能性を拓く道を往く

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