MANAGEMENT STORY 後編

本当に守るべき
ものは何なのか

50年先の将来を見据えて、
自分にしかできない挑戦を
探し始めた、ある経営者の記録
後編
06 葛藤 四 07 葛藤 五 08 諦念そして受容 一 09 諦念そして受容 二 10 離別そして帰還
CHAPTER 06

葛藤 四

「分かったと思ったところで立ち止まってしまいます。そこは注意する必要があります。顧客のイメージを掴んだと思った瞬間に、顧客の実体はまた別の存在に変わり始めている。その姿を追い続けることは大事です」

木村は、「問い続ける経営」が大事になると言った。右肩上がりの成長プロセスに乗る時代ではなくなって以来、ひとつの型が長く継続することは無くなっている。むしろ、価値観が多様になり、しかもそれが常時変化する。ひとつの型に固執すると、変化の波に翻弄されてしまう。自社の在り方を問い、顧客の実像を問うことが肝要だと。

山田は、そうした理屈はよく分かると思った。世間でよく語られる時代についての総論でもあった。そして、それは、これまでの自社の経営を、少なくとも半分は否定している。山田の経営スタイルは、変化に即時対応させるものだった。その意味では柔軟さがあった。他方で、その変化対応の方法は固定化していて、変化幅は限定的だった。山田の感じた違和感は、そこに通じていた気がした。もっと変化幅を大きくできてもいい、しかし、どうしたら大きくできるのかが分からない、そこが気持ち悪いところだった。今、木村が指摘したことは、山田の経営手法の、その限られた変化幅に限界があることだった。山田は、自身の経営スタイルの限界を指摘された思いをしながらも、その限界を乗り越える手がかりを得た気がした。

山田は、実際、複雑な気持ちがしていた。これまでの自分の経営スタイルなら、表出した問題を、最小限の経営リソースで安定して潰していける。自分も経営幹部も、社員全員も、慣れた方法で迅速に対応できる。いわば、組織がそうした経営スタイルに最適化していた。他方で、最適化があまりに極められたがゆえに、そこから一歩も外に出ることなくここまで来た。

今、木村との対話を通じて垣間見てきた「それとは違う」経営スタイルは、顧客と自社を深く掘り下げ続け、自社の持ち味を深く理解して、それをどんどん活かすことを狙うように感じられる。そこでは、問題解決が根本的になる。ならざるを得ない。根本解決になるまで、どこまでも掘り下げていくのだから。だから、成果が出るなら、その成果は青天井になるかもしれない。他方で、掘り下げに要する経営リソースは潜在的には増え、変革までに要する時間は長くなる。そう思えた。

それに対して、現在の経営スタイルでは、自社の強みが凝り固まったまま変わることがなく、新しい挑戦に欠け、問題解決をしていても、どこか表面的で、その場しのぎの感がある。そのせいか、成果が頭打ちとなるように思える。

山田はこうした複雑な思いを、そのまま木村にぶつけてみた。木村の反応は意外なものだった。

「今の山田社長の経営スタイルを捨てて、いきなり新しいものに丸ごと入れ替えるような、二者択一の考え方は避けた方が無難です。そして、そうする必要もありません。山田社長の良さを維持しながら、ステップを刻んで新しい考え方を取り入れていくのがおすすめです」

山田はそれを聞いて安堵した。しかし、木村は即座に付け足した。
「ただし、そのためにも、ぜひ掘り下げないといけないことがひとつだけあります」

山田は、木村を見た。
「少し時間をかけていただいてよいので、ご自身で考えてみていただきたいのです」

CHAPTER 07

葛藤 五

山田は、休日の一日を使って、ひとりで車を運転して港町を見下ろせる宿に閉じこもった。家族でも使うが、仕事が行き詰まると、ここにひとりで来て、自分だけの時間を過ごす。個室の窓の外には、左手に港湾と太平洋が広がり、右手に急峻な山が高く聳える。目の前は林のクヌギや銀杏の、褐色と黄色に色変わりし始めた彩りが、晴れ渡った秋の空とコントラストを際立たせていた。

パソコンを開いた山田は、高科からメールが入っていることに気づいた。メールを開くと、高科から、マーケティングのプロセス再構築の進捗状況が報告してあった。高科は木村と一緒になって、この検討を進めていた。販売とマーケティングの活動を通じて得たデータから受動的に顧客像を掴んで自社の活動方針に活かすのではなく、先行してこちらが顧客像の仮説をあらゆる材料をもとに構築し、それを補強するためにデータをとりにいく形に、ものごとの順序を前後させようとしている。高科からのメールには、活動を主体とした業務設計から、仮説検証を主体とした業務設計への構造転換を考え直している旨の記載があった。

それは、自社にとっては、大きな変革を意味していると山田は思った。事業環境に迅速に対応するだけだった会社が、主体的に顧客イメージを具体化して、働きかけを設計し始めようとしている。今までにはなかった考え方だった。それでも、無理のある変化ではない。高科は木村と相談しながら、無理なく変革を主導している。山田には、それは頼もしい変化に感じられた。

パソコンを閉じて、山田は宿泊施設の温浴場に向かった。屋外の温泉に浸かり、眼前に広がる紅葉仕掛かりの山並みを見上げた。この山間の景色の、あらゆる時期の装いを、山田はその季節ごとに見て知っていた。その度に、自分が仕事の中で体感した手痛い思いを、ひとり湯浴みしながら反芻した。

今、見上げる山あいの色付いた様が、何年も前の同じ時期に同じようにここから見上げたときの、若かった時代の自分の至らなさを憶いださせる。山田は、かつての上司、父、そして祖父を憶い出した。自分が今の会社を経営する立場になる以前、自分がまだ一人の部下として支えた上司たちや父や祖父は、今の自分と同じ立場で、会社を引っ張っていた。上司はあのとき、何を見ていただろうか。父はあのとき、何を考えていただろうか。祖父はあの頃、何を目指していたのだろうか。

山田にとって、自分の会社は社員たちだけのものではなく、自分だけのものでももちろんなく、先人が作り、育て、つないできたものだということを、昔から意識しないことはなかった。自分に先行する人たちの生き様の結晶したこの会社を、自分は今たまたま引き継いでいるのだと、ことあるごとに感じてきた。山田は、自らがそうした連続線の上に立つ存在であると戒めることで「意味」を成立させてきたと言ってよかった。自分の仕事に意味を与えるのは、顧客であると同時に、会社の先人の存在でもあった。それ無くして、好き放題に切った貼ったを演じることは、自分には縁遠く考えていた。

山田は、自分が今、何を守ろうとしているのかを考えていた。それは木村が再三、自分に問いかけてきたことだった。

木村は、社長個人は、分けても経営幹部個人は、個人と会社を切っても切れない共通項がよりどころになるということを言った。木村はそれを「理念」と呼んだ。一般的な意味の理念とは違うかもしれない。社長個人が望む理想的な自分の状態と、企業人として望む理想的な状態とは不可分だと言った。それが社長の特権だと。具体的に何をしたいとか、どうなりたいとかいう意思は、個人と会社とで別々になる。しかし、理想だけは分けて考えられない、と。

山田はそのことを、何日にもわたって考え続けた。果たして、自分にとってもそれは妥当するだろうか。自分にとっての理想はなんだろうか、それは会社にとっても同じ理想なのだろうか。正直なところ、この問いは難しい。自分の理想が何であるかなど、言葉にしづらい。

だから、木村は山田に、自分が守ろうとしているものを考えてみるように言った。特に、自分自身以外のもので、何を守ろうとしているかということを。

山田は、次第に自社の先人、何より、創業者の祖父と、祖父を継いで会社を発展させた父を思わずにはいられなかった。山田は、自分の仕事が、祖父と父に捧げられているのだと痛感した。自分がどうしたいというよりも、祖父と父が人生をかけて為してきた仕事の続きを、彼らに恥じることのないように受け継ぐことを考えてきた、いや、考えるというよりも、本能の次元で反応してやってきた。

「しかし実際、守ろうとしていることは何になるでしょうか」
と、木村は訊いた。

山田は、木村がしぶとく核心から目を離さないようにしていると思った。「祖父と父の伝統を守る」というだけではまだ足りないのだ。では、それはいったい何か。それを考えるのが、休日一日を費やすことにした山田の狙いだった。

部屋に戻った山田は、窓辺のデスクに腰を落ち着けて、持参したノートと万年筆を取り出した。そして、心に思い浮かぶことを、一心不乱に書き出していった。

誰に見せるつもりもない言葉を自分の中から掴み上げて、一つひとつノートに書き下しながら、次第に、山田の想いは昂ぶっていった。
あるところまでいって、山田はもうそれ以上、何も書けなくなった。書く必要がないと思った。書くべきことは全て書いたと思った。

山田はひとりで、深い感謝の念に打ちひしがれた。そして、涙が、頬をつたって流れ落ちた。

CHAPTER 08

諦念そして受容 一

木村との個別のセッションは、高科に主導させている販売マーケティングの刷新についての進捗状況の意見交換から始まった。

抜本的に業務を変革する代わりに、できるところから、少しずつ変化を加えていく漸進型で進めていた。具体的なことは高科から山田に適宜情報は入っていた。
木村との会話は、業務改革そのものより、その改革をどういう目線で行うかに集中した。

「顧客を見ろということくらいなら、1950年代くらいからピーター・ドラッカーも言っています。現代において、どういう力学が働いていて、どういう目線で顧客を考えるか、俯瞰することが重要です。AIも、AIを使い尽くして勝とうとする企業も追随できない最前線は、そこにあります。そもそも、現代の企業は、いったい何と競争しているか。これが私たちにとって最重要な問いの一つです」

山田には、それが狭い意味での同業の市場でないことは予想できた。自社の商品を買う顧客は、容易に和食から洋食へ、中華へ、エスニックへと移っていく。多様性が浸透した現代は、市場の垣根が低く、超越したもの同士の競争がすぐに起きる。

「だから、顧客が我が社の商品をどう見ているか、ばかり考えていてはダメでしょうな」
「あまりに多様になった現代において、一つの商品のことを考える時間はとてつもなく短い。目の前にアンパンがあったとして、一人の消費者が比較するのは、別のアンパンでもなく、パンですらなく、そもそも食品ですらないかもしれない。アンパンを今買うことと、ジムの月会費を天秤にかけたりするのは日常茶飯事です」
「そうです、だから、私は、うちの会社では我が社の商品を中心にした顧客の体験全体を掴みにいきたい。そこにどれだけ感動を与えられているか、感動を与える余地があるか、そこを掴みたいですね」
「いいことだと思います。顧客はどういう感動を求めてそうでしょうか。いじわるな質問をすれば、顧客は、感動を求めていますか」

山田は、自身も気づかない内に、自分自身の意識が、かつての自分たちの経営スタイルか、それとも使ったことのない外来の経営スタイルかという二者択一の考え方を取らなくなっていたことに驚いた。木村と自然に会話している内容は、かつての自社の慣行においては、話題に上りようのないことだった。また、そこにどのようにして到達すればいいのかも皆目見当がつかない類のことだった。それが、今では、自然に自分自身がそうしたテーマを考え、アイデアを掘り下げ、木村と意見交換している。山田はそれを清々しく思った。

***** ***** *****

話題は次第に、山田が守ろうとしていることに移った。

「山田社長が守ろうとしていること、何か見えましたか」
木村に訊かれ、山田の顔が僅かに引き締まった。

「それなんですけどね、色々考えましてね⋯⋯」
山田は、やや持ち出しづらいような、どこから切り出そうか思案するようにしてから続けた。

「私がたどり着いた考えは、こういうことです。私がずーっと守ろうとしてきたのは、先代までの伝統です。小さな会社ですが、歴史がある。しかも、私自身の家系の血筋の歴史です。私でなければいけない理由はなかったのかもしれないが、たまたま私が受け継いだ。受け継いだものとして、この会社の伝統を守ることは当然のことだと思ってきました。その思いは、今も変わっていません」

山田は手元にある茶碗に手を伸ばし、茶を啜った。
「大事なのはここからです。先代までの挑戦は、彼らの時代の挑戦だった。これが大事です。今回、私はそのことを痛感した。祖父は成長時代の、変化が著しい人口成長時代の日本の食を支えた。変わっていく家庭環境の機微を捉えて、新しい食のあり方に挑戦したんです。それを受け継いだ父は、外食産業が成長する先進国日本の変わりゆく食を支えた。父の時代も、流通が広がり、市場は大きくなった。人口もまだ成長していた。そして、今。現代は違う現実がある。人口は減少し始め、かつてより家庭は小さくなり、単身者も増えている。今後は老人だらけになる。かつての方法を残すことだけが、果たして先人の遺志を継ぐことになるのか。それで『なぜ、これをやっているのか』を、人に言えるのか。私がこの会社の事業を続けるのは、先人のためではなく、これからの時代のためではないのか。自社の伝統やそれを受け継いだ経営の方法に執着して、これからの時代のためになるか。そう考えました」

そう言って、山田は自室の壁に金縁の額に入れてかけられてある古い写真に目をやった。そこには、先代の父と、創業者の祖父と思われる人物が写っていた。

「そして、それは父や祖父の志を継いだことにはならないと、私は痛感したんです。私は、私の挑戦をしないといけない。父と祖父が私に遺したことは、金を稼ぐ仕組みなどではなく、私にしかできない挑戦をするためのチャンスです。そう思ったんですよ」

山田は口元を覆った手のひらを揺り動かしながら、壁の写真に目線を送り続けていた。そして、テーブルの反対に座る木村に向き直って言った。

「だからね、私が何を守ろうとしているか。いや、守ろうとしていたのは、間違いなく、今までの自分を支えてきてくれたこと全てです。私を育ててくれたこと、私を今の私にしてくれたこと、そうしたことすべてです。そして、今、私はそれを手放さなければいけない気がしています。私を支えたものはもう十分支えてくれました。いつまでもそれに頼っていてはいけない。私は、天が与えてくれた、挑戦するチャンスを手に取っていかなければいけない。そう思っています」

山田の顔は紅潮していた。

木村はすぐに応えなかった。ただ静かに、山田の手元を見つめていた。そして、口を開いて言った。

「よくぞ、そこまで、掘り下げられましたね。色々、気づかれましたね」

山田は「ええ」と言って、深く頷いた。「良いお題を出していただいて、感謝しています。大事なことに気づくことができた」

「いえ、それは山田社長がおひとりで見つけたことです。私から言うべきことなど、何もありません」

CHAPTER 09

諦念そして受容 二

「私は、このように考えてから、何かひとつ決着がついたような気がしています。覚悟と言っていいのかもしれない。自分がこの会社を経営していく上で、どちらに向かっていくか、という⋯⋯」

木村は、ただ静かに何度も頷いて、山田を見守った。

「ただ、ひとつ、まだ思い切れないことがあるんです。これを聞いてくれますか」

木村は驚いたように眼を見開き、「ぜひ、仰ってください」と言った。

「それは、多分、最後のピースじゃないかと思うんですが⋯⋯。多分、そういったことがないと、この先、挑戦といっても、やりづらいだろうなという⋯⋯。そんなことなんですが⋯⋯」

山田には、食品業界に仕掛けたいことがあった。それが秘策として影響を持つか、単に期待外れの駄策となるかは分からない。山田には十分練られた見立てがあったが、どこかで踏み外していないとも限らない。リスクは当然ある。

それは、食の業界があまりに工業化し、農と食とが乖離し、分断したこと、消費者に食の多様性がもたらされた反面、食を作り出す営みが画一化され、抑圧されてきたこと、そうしたことを問題意識として持っていた。山田は、最終消費と生産過程を接続することを考えていた。消費者がプロシューマーとしてもっと生産過程に入り込み、自らの食に、自らの関与を増やす、そういう新しい「意味」と「体験」を消費者に見出してもらうこと。それが山田のアイデアだった。

山田にとって、その策は、家族が一体として食品業界にどっぷりと浸かる半生を生きてきたからこそ、見出した問題意識だった。彼は、農水産業に従事する人びとの顔を長く見てきた。彼らの日々の苦労、利益につながりづらい事業構造、消費者の移り気に翻弄される不安定性。人口減少下で供給者は年々減っていく。しかし、消費者はそのことを知りながら、打つてをもたない。農と食の中心に位置する自分たち加工製造業者だからこそ、できることがあるのではないかという思いから発した考えだった。

木村は言った。
「伺ったお話に、私はとても動かされます。しかし現実的には、私には、そのことの正解不正解は分かりません。最終的に、市場に問うしかない。私から今申し上げて意味があることは次の点だろうと思います」

そう言って、木村は一呼吸置いて続けた。
「山田社長は、『業界への挑戦』という思いにご自分でブレーキをかけている。そのブレーキの実体は理屈です。ご自分の中にある恐怖が理屈を作っている。ですから、私が申し上げるのは、理屈を上回る理屈で対抗することです。しかし、もっと大事なことは、私がいう理屈そのものではなく、山田社長の挑戦は、実はすでに受け入れられる土壌があるということです。そこを汲み取っていただきたい」

「いやに、理屈っぽいね」と言って、山田は笑った。
木村も笑った。

「私が申し上げる理屈は、時代がどう移り変わって来て、現在がどうなっているかという理屈です。ご家族のこれまでの事業の歴史を思い起こしていただければすぐに合点がいくことと思います。20世紀はニーズが支配した時代でした。ニーズとは必要です。戦後、物資が足りない時代から、モノを増やして不足をなくす、それが長らく時代の精神だったと思います。20世紀最後の四半世紀以降、次第にニーズが満たされ、ウォンツが支配し始めました。ウォンツとは欲望です。必要かどうかより、欲しいかどうかが支配的になります。私たちの生きる現代も、必要が土台にあり、その上に欲望が乗り、主に欲望が全てを支配していると言っていいでしょう。そして、そうした時代が約50年続いて来た結果、ニーズを訴求しても響かない、ウォンツの刺激も慢性化して、私たちの誰もが欲望の刺激に耐性を持ち、刺激が効きにくくなっている。今は、そういう状況にあると言えるのではないでしょうか。こうした状況下で、必要と欲望を刺激する競争をこのまま続けても、苦しい闘いになる。それが理屈の前半です」

山田は黙って聞いていた。木村が語る見方に、一面の真実があると思った。

「さて、これからの時代はどうなるか。そこが大事です。私の見立てでは、21世紀のこれからはアスパイアの時代になります。アスパイアとは聞き慣れない英語ですが、熱意や野望、野心を意味します。何事かを達成する源泉にある衝動です。欲望は受け身になりすぎました。本来は能動的だった欲望が、あまりに受動的になりすぎてしまった。そうした時代に、私たちは本能的に能動的な衝動を取り戻す。私はそう見立てています」

山田は太い声で唸りながら、木村の言葉を飲み込もうとしていた。

「ですから、山田社長のおっしゃる秘策。それは私から見ると、野望であり、野心であり、何より熱意に裏付けられた想いです。これからの時代に、人を集め、動かすことの底辺には、そういうものがあるようになってくる可能性がある。ですから、私には、山田社長のアイデアは、すでに受け入れられる土壌があるように思えるのです」

「欲望は欲望でも、表面的な欲望が増えましたね⋯⋯」山田は、探るように、思い浮かんだことを言葉に換えていった。「木村さんが言うことを私なりに言い換えさせてもらえば、深い欲望に対しては、世の事業はまだあまりうまく差し込めていないのかもしれない⋯⋯」

***** ***** *****

木村を見送った後、自室でひとりになった山田は、自分のデスクチェアに腰掛けて、窓外の雲に目をやっていた。

自社の事業は、ニーズの時代に生まれた。日本の人口が増え、富が蓄積される中で、社会に必要とされた。豊かになり、食も他の領域でもものが溢れるようになってからでさえ、自社の商品は愛されてきた。おそらく自社商品への顧客の愛情が少なくなっているわけではないだろう。しかし、あまりにものが溢れ、刺激が溢れる時代に、自社商品への注目を維持することは容易ではない⋯⋯

山田は、これから50年後のことを考えていた。50年といえば、自分が生きて来た時間に匹敵する。この50年は長いといえば長いが、会社が存続してきた歴史として見ると、ありふれた長さだ。次の50年も、思いの外、早く過ぎ去るに違いない。よもや自分が生きていることはないだろうが、会社は続いていておかしくない。そうあってほしい。であれば、次の50年に耐えうる闘い方を選んでいかないといけない。自分たちは、何ものとして生きていくか。誰の、どんな望みのために、自分たちの会社が存在し続けるか。

〈実はすでに受け入れられている⋯⋯、受け入れられている⋯⋯、受け入れられている⋯⋯〉
山田は、その言葉を繰り返しこころの中でつぶやいた。

そして、ふと感じた。自分自身を受け入れ、会社の事業を受け入れてもらうのではない。自分たちが信じるところにしたがって、自分たちから働きかけていくことを受け入れてくれるのではないかと。働きかけが相手のあることなら、思い通りにいくかどうかなど、やってみなければ分からない、しかし、少なくとも、働きかけることは受け入れてもらえる⋯⋯。それを、なぜ恐れることがあるだろうか⋯⋯。

山田は、それまで自分の中に秘蔵していたその秘策のアイデアの背景にあった恐れを、手放そうとしている自分に気づいた。いくらでも、それをやらない言い訳を作ることなどできた。やってはいけない理屈を作ることなどできた。そうして、これまで秘蔵してきた。しかし、冷静になってみれば、誰もそれを阻止していない。ただ、唯一そのアイデアを知る自分だけが、必死でそのアイデアを前進させることにブレーキをかけていた。

〈実はすでに受け入れられている⋯⋯〉

自分がやるもやらないも、他人は気にしていない。もうすでに、それは受け入れられているのだから。

〈それでもなぜやらないことがあるか⋯⋯〉

山田は、デスクの上のノートと万年筆を取り出した。そして、思うに任せて、ノートに考えを書き出していった。いつまでも、書いていった。

CHAPTER 10

離別そして帰還

山田は、高科と木村に面していた。販売とマーケティングは、当初の顧客像刷新プロジェクトから進化して、新規提供価値をテストするパイロットを遂行していた。複数の事業仮説が、潜在顧客を刺激するか、反応させるか、購買させるかを検証していた。ひとつは外食チャネルを経由して、消費者が外食という場面でどれだけ「潜在的な体験価値との出会い」に反応するかをテストした。協力してくれる外食サービス店舗を味方に付けて、協働した。もうひとつは内食チャネルを経由して、消費者が惣菜の持ち帰り、デリバリーという形態で、どれだけ同じ「出会い」に反応するかをテストした。ここについては、自社で持っていたテナント店舗と協力店をレバレッジした。さらに、小売チャネルを通しても、スーパーやドラッグストア、コンビニ等で同じく「出会い」への反応をテストした。

得られた知見は、山田と高科を興奮させた。そもそも人が新しい体験価値との出会いに関心を持つこと、特定のチャネルを経由するとき特別な出会いに反応しやすいことなどが観測された。彼らは、単にありきたりのものを生産して市場に流通させる製造業者ではなくなり始めていた。

基盤にあったのは、山田の構想だった。新しい時代に向けて食を変革していくために、何ができるかを模索していく。いきなり現在の食のあり方をちゃぶ台返しするのではなくて、どこで誰がどういう刺激に反応するかをよく観察しながら、少しずつ、自分たちがあるべきと考える食の理想的な姿に引っ張っていく。引っ張っていきながら、消費者がどういう状態に至っているかをまた観察する。そういう循環を、山田の構想の土台の上に回していた。

調達に関しても、新しい試みが進められていた。海外産の原材料を国内由来に代替できるものは大体を模索し始めた。ここでも、山田が見通す社会の将来像を基盤にしていた。人口減少が続く社会で、いずれ外国から物資を輸入してくることは高コストになっていく。海外産の原材料に立脚していると、高コスト体質の事業構造から抜け出せない上、高価格の商品を提供するのは顧客にとっても望ましくない。

生産においては、地域分散化が視野に入っていた。それまで単一拠点から全国に流通させていた。これからの時代は、流通コストが高いまま推移していく、さらに高くなっていく可能性が高い。次世代のサプライチェーン構築には、地場で調達し、地場で生産加工し、地場で流通させるのがコスト効率的となる可能性がある。山田と田代はその可能性を真剣に模索し始めた。そして、それは不思議なことに、規模の拡大を伴う面があった。地域分散した生産工場を高稼働にさせて収益性を高く維持するためには、各地域で一定程度のプレゼンスを作りにいかないといけない。それは、国内単一工場のこれまでには存在しない圧力だった。山田と田代は、そうした経営圧力をむしろ面白いと考えた。

「山田社長、各方面で、独自の広がりが進んできましたね」木村が言った。

「いや、まだまだ。これからやらないといけないことがたくさんある。中堅から若手がえらいやる気になってくれています。頼もしいことです。これからは彼らの時代ですから。私は、彼らに託すものを、しっかりと創っていきたいと思っていますよ」

山田は、自分が歩み始めた新しい挑戦の道の先に、予想外の発見が現れることを面白いと感じ始めていた。挑戦は清水の舞台から飛び降りるようなものではない、最初に川を下り始めるだけのことだ。途中で想定外に出会うのも、必要に応じて舟を補修するのも挑戦の醍醐味だ。山田は、そう思った。

〈了〉

TO BE CONTINUED

貴方にとって、
これからの50年は何か。
そして、貴方だけの挑戦は何か。

貴方が創りたかった未来を、
これからどのように創りにいきますか?
貴方の内なる想いこそ、力強いエンジンになる

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