「会社が前進する」という手がかり

問題を解くことと、問題を見つけ直すこと

突然、売上が3割減った。
そこから、ひとりの経営者の七転八倒の経営改革の道のりが始まった……

別の物語記事で紹介した経営者には、いったい何が起きていたのか。
彼は、経営課題に取り組む過程で何を発見し、
どのように進む道を見つけていったのか。

そして、私たちは、彼の歩みゆく道のりから、何を学ぶことができるのか。

この批評記事では、ひとりの経営者の物語を題材にして、
「会社が自然に前進する」とはどういうことなのか、
企業を経営するとはどういうことなのかを、
経営者による問題設定と実行の循環から考えます。

会社が「自然に前進する」とはどういうことか

この物語の中で社長が体験したことは、彼と彼の会社に特殊だが、よくある企業経営の風景でもある。社長自身が判断し、組織に実行を促し、予想外の結果に驚き、そこから気づきを得ることは、どれも、あらゆる企業で見られる日常風景の一端に違いない。私たちが、この社長の体験を通して理解したいのは、この社長の体験の個別性ではなく、彼の判断の良し悪しでもなく、そこからの学びですらなく、この事例の奥にありえる「会社が自然に前進する」とはどういうことか、そしてそれを実現する「手がかり」は何かということだ。

この会社は自然に前進できていたか。売上が突然3割減となるのは驚愕の事件であり、そこから自然に前進し始めるとは考えづらい。まず混乱が起き、悪循環にはまり込む可能性が大いにあった。

この社長の目線の内には、実に多くのものごとが入っていた。役員や社員、会社の中の組織や業務プロセス、商品サービスラインナップ、異なる種類の顧客、そして業績。社長の彼の目線から見れば、会社に関わるすべてがあり、それらの各要素が係わり合う様がところどころ見えてはいるが、社長自身にそのつながりの全体の実相は見えていない。

おそらく初めから、社長には、経営のさまざまな問題がひとつの構造を持つという仮説があっただろう。はじめに間接材コスト最適化に着手したとき、その仮説に基づく何かしらの狙いがあったはずだ。突然に売上が減少するというような状況では、いきなり売上拡大策に飛びつくより、足元の業務実態を掴み、実行できることや達成しやすいこと(その意味で、外部に依存しないもの)に取り組むことは理に適っているように思える。

実際に組織を動員してみると、予想外の状況に直面して彼は衝撃を受ける。その衝撃の根本には、自分があらかじめ想定していた構造が違っていたかもしれないという発見がある。経営者として、危機感を感じていておかしくない。

目の前の問題を解決しても、会社が前進するとは限らない

では、その発見によってこの会社が自然に前進するかというと、そうでもない。前進どころか、訳もわからず、開かずの箱を開けて飛び出てきたものごとに予想外の感を得て、現実の実相はいったいどうなっているのかを把握せずにはいられない状況に陥る。それはまだ「前進」とは言えない迷いのフェーズだ。経営の問題について新たに得た「現実のデータ」と、自前の「経営の問題構造」の仮説を整合的に組み替えるということ、この社長に起きたのはそれだった。

コスト削減取組みをしていたら組織と業務設計の問題が見つかったというのは、経営の問題を一段深く見る目線を得たことのように思える。隣の問題に気付いたというより、手前と奥の関係に気づいたと見たほうがいい。私たちは一般に、経営上何かの問題があれば、そこに手を施そうとする、そうすることによって問題を解消し、問題が起きる前の日常に戻れると無邪気に考えがちだ。目の前にある問題を手ずから解決することを通じてこそ、会社は前進していくのだと考える傾向が私たちにはある。しかし、実際の企業経営では、そのような機械を修理するような考え方で、本当に経営が是正されているのかどうかは怪しい。正確を期して言えば、特定の問題に対処すれば、そこで局所的な効果は確かに出るだろう。だが、そのあとはどうか。私たちは往々にして取り組む問題を転々とするのだが、しばらくすると元の問題に戻ってくる。その間にホコリが積もるように課題が山積みになっていて、以前と同じようにその課題解決に取り組む自分たちに既視感を抱く。これは日本中、世界中の企業に広く見える現象だ。経営における問題が横に並列であるなら分かりやすいが、表層と深層の関係にあるとなれば一気に複雑になる。実態は、後者に近いような気がする。

問題は、そこで循環的に取り組む課題解決が、果たして企業の内から出てくる自然な前進につながるのかということだ。

会社の前進は、経営指標より先に現れる

前掲の物語では、当然循環するほど長くこの会社を追跡していない。個別に取り組まれる「特命」課題のそれぞれにおいて、明確な成果が見えているわけでもない。それにも関わらず、私たちは、そこに慎ましやかな企業の前進を読み取る。これはいったいどういうことか。

私たちがここでいう「会社の自然な前進」とは、特定の計測可能な指標の量的改善ではない。計測されるよりはるかに早く、組織に係わる人間が察知する会社の状態だ。それは、理性的に頭で掴むのではなく、感覚的に心情で掴むということになるだろう。〈頭〉は経営問題の構造や量的改善を見る、少なくともそれを見るように働く。一方で、〈心情〉はもっと奥深くへ目線を送っている。問題構造や量的改善が因果関係の原因と結果を見るとするなら、〈心情〉はその因果関係全体を丸ごと包んで見ている。そうなるのは、変化を起こす原動力が人間であり、人間は因果に割って捉えることができないからだろう。経営者は間違いなく人を見ている。それゆえに、量によって計測される成果だけではない、企業の全体を俯瞰している。そうあるべきだろう。

経営者の仕事は「問題設定」と「問題解決」の間を巡る

しかし、そこに経営者という職業人に課された仕事の困難な実相があるように思える。この物語の社長は、冒頭から会社全体が彼の視野に入っているにもかかわらず、「すべてがありのままに見えているわけではない」のだ。暗闇の中を歩くが如く、足もと頼りなく迷い、時に転び、痛い思いもする。サーチライトを問題の原因と結果だけに当てられるなら話は簡単だが、実際そういうわけにはいかない。これは、「会社が自然に前進する」ために必要なことがいったい何であるか、という問題の設定が問われているのに他ならない。

一般に、経営者は、会社の外から成果を通して見られる。しかし、執行者としての経営者自身にとっては、第一に「会社にどういう問題を見出すか」があり、第二に「どう資源を動かしてその問題を解決するか」がある。この物語の社長も、第一の「どういう問題を」を自身の核心に持ち、第二の「どう動かすか」を試す結果として二転三転し、実はそれによって、第一の「どういう問題を」を展開させている。

ここに起きていることは何か。それは、第一の「問題」と第二の「動員と解決」が、単純な前後の因果関係にあるというより、むしろ循環的にぐるぐる巡ることによって「前進」するということだ。遠くから眺めればあたかも「前進」しているように見えなくはない。

実際、この社長は、意識して「問題を」突き詰めていったようには見えない。むしろ、導かれて予期せず問題を発見していったという方が近い。このことは、経営者が、目の前の経営環境を与件として、自社の経営上の「真の」問題の構造を首尾よく把握するのが実は困難だということを示唆している。むしろ、目の前に見える特定の問題に対峙し、そこから気づきを得て「本当に大事な問題はこれではないか」と認識を改めていくことしか出来ない。そうでなければ、つまり「本当に大事な問題」が目の前に持って来られるなら、経営者の仕事は早々に完了し、世の中から経営者は不要になるだろう。

現在の問題を掘ることで、過去と未来がつながる

そういう観点でこの物語を見直せば、確かに、この社長は「結果的に」経営上の問題の構造を見出していっている。初めに現在運用中の業務を改革するつもりで外部委託を見直し、その過程で、組織と業務プロセスについての問題を見出し、それを掘っていくと、過去から蓄積してきた知恵という遺産を発見する。過去からの遺産の知恵はしかし、非効率や無駄と分け難く雑居していて、それだけを取り出すことは容易ではない。過去だけを振り返ることには、人間同士の対立を誘うという落とし穴を予感する。そこで未来への希望を共振させようとするが、実はそれも容易ではない。人それぞれが見ている未来が違う可能性に気づくからだ。この社長は、道すがら視野を拡大させていく。現在だけ見ていたものが過去を知り、未来を知る。そして、未来に向けて目線を統一させることこそが、すべてを貫徹する切り札なのではないかという気づきを示唆して物語は終わる。

この社長が持つ「経営の問題構造」についての見立ては、こうして現在、過去、未来と広がり、それらが相互につながっていることを発見する形で立体的になっていく。おそらく、それは一つの見方に過ぎないだろう。それが「正しい」問題であるかどうかは分からない。誰にもそんなことは言い切れないはずだ。

会社を前進させるために、経営者は何を見るべきか

大事なことは、組織という生命体の運動が、このように経営者の第一の問いである「問題設定」をきっかけにして回っていくということであり、善くも悪くも、組織の人々はそれに動かされ、組織を転がしていくということだ。そして、起点に立つ経営者にとって最も有益なのは、隅々まで見切れない組織の状態をより良く掴むセンサーを張り巡らせておくことだろう。経営者は、組織から得られる兆候を「手がかり」にして、今とこれからの問題を見定めることができる。

最後に、「私がこの社長だったら」どうするか。私は、二つのことから始める。一つは、現場の声を集めること。ここで現場とは、お客様と社内人材の両方を指す。見えるようでよく見えていないこの二つの「本当の」声に耳を澄ませにいく。現場の〈声〉には、いつも必ず人間に関する真実が眠っているからだ。もう一つは、「もし売上が6割減だったら何をするか」を考える。「3割減」は現業の現実の一端を捉えた予兆に他ならない。もっと大きく下振れしておかしくない。そうなると、「船」そのものを見直さないといけない。何か根本的に見落としているかもしれない。そこで抜本的に事業と企業の成り立ちを見直しにいく。さら地から事業と企業を作り直すなら何をするか、と。この社長が最後に辿り着いたところと似た形で、自社の「問題」と「解決」の前にあるべき「意思」を研ぎ澄ませにいくだろう。 「企業経営が自然に前進する」とはもとより結果に違いないが、その起源を辿ろうと思えば、経営者がどういう手を打ったかを超えて、経営者が何を問題として見ようとし、そのためにどれだけ視野を広げ続けたかにまで至る。そして、起源へ遡る道は、永遠に終わらない。無限に遡行するという歩みにこそ、経営者自身の「前進」があるのではないだろうか。


批評記事を読み終えて

この記事で、自社を前進させようとする経営者を、客観的に見つめることができたなら、次は、別の経営者の日常の一端を通して、企業の経営を考えてみてください。